僕には人を惹きつけるようなワードセンスがない

ご無沙汰しています。
ここ最近ブログの更新を全くしていませんでした。
意外と生産者さん(そこのあなたです…笑)が閲覧しているようで、思っていることを何でもぶっちゃけるのは如何なものかと最近思うようにもなりました 笑

ところで、今シーズンはとても作業量が増えました。
原因はおそらく雨と高温による新梢の旺盛な発育に起因します。
枝整理をやってもやっても追いつかない。
枝整理を怠ると葉ベトが多発。本葉に出なければ大丈夫と思いつつも、私なりの考えで葉数はもともと少なく調整しているので微妙なところ。
そのため今シーズンはベトとの共存という感じでやっていってます。来年の枝の登熟は問題ない範囲くらいの被害です。
まぁ実ベトがあまり出なかったのは例年と同じでしたが、葉のベト罹病率はだいぶ高かったです。

高温多湿以外にベトが多いなぁと感じることになった理由としてクロヒメゾウムシの多発があげられますかね。
今シーズンは俗にいうチョッキリ虫に開花位から結果枝を切られまくり、意図しない超早期摘芯が行われた形になりました。
直後に側芽が芽吹いてズバーーッと伸びてくるんですが、やっぱり本来ならば来年芽吹く芽なのでデンプンをはじめとしたエネルギーの蓄積も少なく、出てくる葉は本葉と比べると葉緑素が少なくて弱弱しいものです。当然ベトの餌食です。
超早期摘芯された結果枝の側枝がベト病に罹病するケースが多いのです。超早期摘芯を行うと花が振るわず、立派な房が出来ることもよく分かったのですが、葉が確保できないので切り落とすことも儘あります。

こんな感じの今シーズンでしたが、収量としてはピノブランの収量が上がりそうで、全体としては過去最大の収穫となる感じです(この後何もなければ…)
今年の仕込は色々とやってみたいこともありますが、蔵状況と相談しつつ作業に取り掛かろうと思います。

収穫まで1か月を切りました。
9月は見守る時間が増えそうですが、畑作業に勤しみたいと思います。

将来の葡萄産地をかんがえてみた

北海道の特に余市・仁木エリア、そしてモンティーユが入植したという事で函館、また岩見沢は、葡萄産地としてもしかしたら世界的に注目を集めつつあるのかもしれません。
そう感じたのは今年度の余市町の協力隊の隊員に香港人と台湾人が入り、今後も余市町でワインに携わりたいという意向があるという事を聞いたからでした(人伝ですが)

冬の間、今後この葡萄産地がどのような変遷を辿るのか色々考えを巡らせていました。
何となくですが、最近だとこのエリアでは個人の新規入植希望者が減り、逆に法人が増えてきた印象があります。
もしかしたら役場で帰らされている個人がいるのかもしれませんが。
異業法人からの新規農業参入については全く否定するつもりはないですが、問題はその先にあると考えています。

この地域は首長や発言力のあるワイン関係者含め、法人格の受け入れについては前向きな印象があります。

異業法人の新規参入となると3,4年という短いスパンでの損益について考えることが多いのかな?と考えています。
現に一昨年仁木町にあった、ある法人管轄のヴィンヤードは札幌の法人へ畑を売りました。
岩見沢方面でもワイナリーの売買の話も聞きますし、余市・仁木では個人から生産法人への畑販売もよく聞きます。
今であればワイン葡萄畑ならば農地購入時より高価格で転売が可能な場合も十分にあると思います(農業委員会が絡まない形を取れば)
異業種から来たのであれば投機的な志向を持ちつつ営農を行うことは当然ですし、ほぼ居ないですが個人でやっていてもそうなのかな?と感じる方も中にはいます。

そこで将来起こるのではないか?と感じていることが、海外資本への農地販売です。
これについては農地法第3条が発動し、農業委員会の監視があるため農地売買については制限がかかるのでは?とお思いかもしれません。
ただ、これには抜け道があります。
例えば法人Aが個人の農業者から農地を購入し、農業生産法人Bを設立したあと3,4年経営し、販売したい意向が出てきたときに購入意志のある法人Cが農業生産法人Bごと買収するケースです。
M&Aという言い方が合っているのか分かりませんが、企業買収を行う場合は代表者の名前が変わるだけであって、農業委員会から見た時の農業生産法人Bの存在は変わるものではありません。
そのため、この際の企業間売買においては農業委員会が出てくることはありません。

ここからが私が不安視していることです。

ご存じの通り、北海道の土地は現在水資源、観光資源含め海外資本に購入されていっています。
隣村のkiroroスキーリゾートやTOMO PLAYLAND、ニセコ町のスキーリゾートなどはその典型だと思います。
不安なところというのは、昨今の日本ワインブームを背景にワイン葡萄産地としての認知度が上がりつつある、余市や仁木、函館のヴィンヤード、ワイナリーに対し、食指が動いている海外資本があるのではないかという事です。
現に今年度から協力隊としてやってきた香港や台湾の方は北海道のワインに興味を持っていることから、海外の人たちが興味を持ち始めていることは事実だと思います。
そこに対して3,4年で利益が出ず、当初から投機的な意味合いも含めて農地を運営していた日本の農業法人に海外資本が購入意志を持っていることが分かれば農地を売らないわけがないのかな?と感じています。

これについては北海道だけの問題なのかな?とは思っている部分はあります。
理由としては、北海道については農地を「売ること」についてのハードルが低いことが挙げられます。

また、ニセコが海外資本だらけのスキーリゾートとなった背景には2000年代前半にNACを創業したロス・フィンドレー氏の存在があります。
彼がニセコの自然や雪質の高さに驚き、海外へその魅力を発信したことが現在のニセコ山田地区を形成させています。
そうなるとニセコの時のように現地に繋がりを持つ海外の方がワイン葡萄関係の仕事に就くという事が資本力のある法人の参入を誘導することもあるのかな?と考えてしまう自分がいます。

北海道のワイン産地にはそのポテンシャルがあるようにも思いますし、海外からの入植を目指す人が来た現状から考えるに海外資本によるヴィンヤードやワイナリー経営も近い将来始まるかもしれません。
それが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。
しかし自分は静かに静かに、例えば紙に水が滲んでいくように徐々にじんわりと北海道のワインのことが世間に広まれば良いなと感じています。
前のめり、食い気味な感じで北海道のワインを世界へ向けて発信しようとする意志には危うさを感じています。

年が明けました

2023年が始まりましたね。
今年は剪定が昨年中に終わり、ゆっくりとした年始を送っています。
醸造は今年で7年目に突入しますが、まだまだ分からないこともあり、目指すべきワインのスタイルはあるも如何に近づけるか、畑作業から見つめなおし自分の中で思考の反芻を行っていく次第です、鹿を追いつつ…。
先シーズン学んだことは、醸造とは北風と太陽なんだということです。
収穫した葡萄に無理強いしても納得出来るワインを造ることは出来無いと感じました。
自分の理想はあるのかもしれませんが、エゴでそれを頑なに目指すのは違うのではいかと。
この土地で、自分の目指すべきワインを造りだすために必要な葡萄を畑作業で…というのは第一にありますが、やはりその年の天候に逆らうことは出来ません。
葡萄の熟度(糖度ではなく、熟度です)は異なりますし、酸やPH、そしてアミノ酸の含量、ひっくるめると葡萄の果粒を組成するすべての物質のバランスが年により異なるのです。
自分の目指す、造ってみたいワインは何なのか。それを造るために醸造上、どこでどのような手を加えるべきなのか、何となく掴めているような気はします。
ですが、葡萄のポテンシャルは先にも述べましたが、年のより大いに異なります。

極端な例ですが、雨が多く、日照時間も平年より少ない年の葡萄は病気が多くなることが考えられます。
そうなると植物は自身の繁栄を考え、種を守るため、平年よりファイトアレキシンなどフィトクロームに富んだ葡萄を実らせるかもしれません。
また、雨が多いため樹中に還流する水分は多くなり、平年より果粒がNを吸収しているかもしれませんし、酷いと水っぽい果粒になっている可能性もあります。
ファイトアレキシンやアンティシピンは、ある種のフェノールに分類されますが、人にとってはエグミや未熟さにも直結する可能性があります。
例えば、このような黒葡萄で赤ワインを造ろうとしたとき、自分の目指すスタイルが旨味、甘みのあるタニックさもありつつ、骨格としての酸もメリハリがつくレベルで残したいとなると醸造上、抽出が非常に困難になると思います。
つまり、元々の葡萄のポテンシャル以上のワインは出来ないということです。
造り手は、葡萄の持っているポテンシャルの中で醸造を行わなければならないため、無理なことを行えば必ず何かしらの弊害が香り、味に表出してきます。
造りたい人間のエゴから生まれるワインは惹きつけるものが薄く感じられるのはそういうこともあると考えます。
大量生産、画一的な造り、添加物の使用、ろ過、培養酵母等々。
更に付け加えるならば、年により造りを変化させない画一的な醸造については規模の大小は関係ないとも思います。

言い換えると、毎年同じ造りを行うことは葡萄のポテンシャルを活かせていない状況だと私は考えます。
つまり、自分の造りたいワインの着地点にある程度の幅を持ちつつ、譲れない根っこ部分をぶらさず、その上に作り上げる構成要素を変えられれば良いのではと考えます。
余市の葡萄は11月近くまで吊るせば糖度はある程度行くことが分かっています。
しかし、先にも述べたようにそれ以外の要素は年による違いが大いにあるのです。

北風と太陽。
無理強いしても葡萄は笑顔になってはくれませんし、逆に引き出せるものがあるにもかかわらず同じ造りを行うことは勿体ないことです。

やっぱり思うこと

2022vt仕込みも大詰めとなり、醸造シーズンの岩見沢生活も両手で数えるほどになりました。

自分なりに病果が広がらない範囲で引っ張れるだけ引っ張りました。
収穫の大多数は10月の下旬に固まる感じになり、食味・分析値においても満足しています。
収量も順調に伸びました。
窒素の循環を考えた時にちょうど良いレベルで畑が維持できる収量くらいに落ち着いたことはとても良かったです(収量コントロールをした上で)
今のことろ発酵は順調で、白のいくつかは発酵が終了しつつあります。
赤はコールドソーク中です。
下部のマストではサッカロミセス属が弱く、ですがしっかりと発酵を続け、ベリー内では酵素によるアルコール置換が行われています。

所で、岩見沢シェアハウスのメンツと先日飲んだ時改めて思ったことがあります。
それは農業に取り組む姿勢、意識について。
自分は有機だとか自然農だとか慣行農法だとかぶっちゃけ葡萄の質においてはそこまで変わらないと思っています。
なので、有機「だから」、自然農「だから」という理由で異様に高い価値を付けるのは違和感があるのです(付加価値はあると思います)
野菜にしろ、ジュースにしろ、もちろんワインも。
そして、最近有機、オーガニックだとか殊更強調される風潮がありますが、本質はそんなことではないということです。
「その人間が何を目的に農業をしているのか」
その点だけです。

有機JAS認証でも使える資材はご存じの通りいくつもあります。
その中には認められている「農薬」もあります。
他には分解されないとのことで、シリコン製の刈払いブレードやナイロンコード、CCA木杭(CCAは相当に疑問符が付きますが)なんかもそうです。

でも、有機を謳う条件さえ満たせば何を行ってもいいのでしょうか?(それ以前にそれすら満たしてもいない人も大勢いますね)

有毒性が多方面から指摘されているCCAは有機でも認められているから普通に使う(今後有機認証はされないはずです)、ナイロンコードは目に見えないくらい細かく刻まれて畑に飛散し、回収はできなくなるけれども有機での使用が禁止されていないからいくらでも使う(これ喰う動物がいないだけでマイクロプラスティック問題と同じですから)
CCA処理の資材に関しては本当に危険だと確信しています。
野積みにしている状態で経年させると土壌へのヒ素、クロムの流出が顕著で植物や地下水への影響が高確率で発生することが証明されています(銅はそこまで高くないとの報告)もちろん野焼きなど論外です。
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010781048.pdf
昭和40、50年代に発表されている古い文献にはCCAは環境、人体に対して問題ないという報告が見られますが、近年の報告を見る限りその根拠には相当に疑問があります。
本当にCCAの使用だけは控えてもらいたいです。
あと有機JAS認証では認められていませんが光分解性テープナーについても同じです。
あれは分解ではなく、劣化→崩壊という流れです。
光による劣化でプラスチックが硬化し、その後崩壊していくというものだと思います。
畑には目に見えないだけでいつまでも細かいプラスチックが残留しますよ。
M〇Xに問い合わせましたが、成分など詳しいことは企業秘密のようでお教えくださいませんでした。
乳酸菌が作っている生分解性マルチとは別物です(これも有機JASでは使用できませんが)

結局、これらって本人が何を目的にしているのかというと「有機」という言葉を使いたい、その一点だけだと思うのです。
これらを使うと確かに作業は大幅に楽になります。
木杭の打ち換えは必要ありませんし、葡萄の樹を傷つけるリスクも減る。
でもそれって、未来に残す畑環境や地球環境、経済面以外の永続的な営農に繋がることなんでしょうか?

私には疑問です。

私は有機でやっているのであれば、有機JASは常々取るべきだと考えています。
書類が面倒、余計な出費なんてのは言い訳でしかないと思います。
取るべきだと考える理由は、「有機」「オーガニック」を言いたいからではありません。
過去にもこのブログで記載しましたが、一つは消費者への担保としてです。

顔の見える関係で地域内で消費される米や野菜を自然農や有機で栽培しているのであれば有機JASなんか取る必要など全くないと考えています。
ですが、加工品、特にワインなどは、「いつ・誰が・どのvtを・どこで」消費するか分かりません。
有機のみにこだわって飲むワインを選択している人はそう多くはないと思いますが、そのような人たちに何も言わずこのような第三者機関の認証は担保となると思うのです。逆に、例えばですが自然農や有機で野菜類を育て、お客さんの大多数が顔の見える関係を築けているような素晴らしい環境下であるのならば、有機JAS認証を取る必要は全くないと考えています。なぜなら、お互いがその人となりを理解しあい、互いに信頼関係が築けているからです。
私が調査対象にしていたCSAの営農形態は正にそのような営農形態ですね。

ちなみにここ最近有機加工酒類(醸造所の有機認証)についても管轄が国税から農水に変わったことで、ある意味お酒においても有機認証を取得しやすくなりました。
ですが、自分はそこに対しては全く興味がありません。
この大地で農業を行う上での考え、指針、哲学においてやっていることがJAS有機認証の延長線上にあるからだけで、醸造所での認証には意味がないと思うからです。
なのでワインのエチケットに有機JAS認証マーク貼りたいとは全く思いません。

加えて似非有機農業の跋扈も気になります。
そもそも有機JAS法が制定された背景は、90年代後半に市場にあふれた数多くの似非有機農産物に端を発します。
少しでも有機肥料を与えたから「有機」農産物を謳うなんてことはザラにありました。
自分も今から15年くらい前に有機農家の経済分析を行っていましたが、自称有機農家の行っていることの「いい加減さ」も多く見てきました。
大概彼らは有機JASを見下していますが、有機JASを取得できるのは半数も居ない印象でした。
でも、今跋扈しているそれは本質的には90年代後半に起こったことと大差がないと感じています。
それは文句としての「有機」が欲しい人たちという共通項が見えるからなんだと思います。

自分は環境に負荷をかけない永続的な生活を送りたいという想いで農業に携わっています。
その上で先ほどの理由が加わり有機JAS認証を取っています。
なので、有機JASで認められていても使っていない資材は数多くあります。
聞かれれば答えますが、積極的にそれを言う気もありません。

自分に正直に正々堂々と営農、醸造を行い続けたいを改めて思った飲み会でした。

知れば知るほど

備忘録としてシコシコ書いているブログという認識でしたが、意外と閲覧しているモノ好きな人が居らっしゃるようです 笑

2022vtの畑仕事が折り返しくらいに来ました。
今ヴィンテージは開花期に若干気温が低かったことと天気がよろしくなかったこともあり、振るった場所も一部ありました。
ただ、全体的には結実は良く、後は台風さえなければ収量は問題なさそうです。

最近は、犬の散歩を終えてから畑仕事までの時間で醸造について学んでいます。
エルゼビアやグーグルスカラーとかで文献を見つけてアブスト見るだけでも面白いです。
最近の翻訳機能はすごいですね 笑
自分は曖昧な感じではなくて深く掘って自分なりの答えを掴みたい質なので、醸造期間以外に色々知ることは良いことだと思っています。
このことを10月からの実践で自分の中ですり合わせ、落とし込んでいければより良いと思っています。
緩さやぼんやり感は取り合えず今はいいかな。

改めて感じるのは俗に謂うナチュラルなワイン醸造においてカギになるのは乳酸菌なんだろうということ。
ヘテロ型の乳酸発酵におけるエタノール、酢酸、乳酸の生成、その先のアセト乳酸、2AP、ピリジン、VA、ヒスタミンの生成と条件など。
MLFだけなんて単純なもんでない。初期発酵から貯蔵期間という長いスパンで醸造で色々関係してくる乳酸菌。

でもやっぱりスタートは葡萄だし、大事なものもそこ。
果粒内の成分は畑の気候や環境にもよるところもあるが、人為的介入による変化が当然起こります。
どのような作業でどんな葡萄になるのか、色々試していきたいと改めて思う次第です。

食べ物の価格と中身の不釣り合いさについて

我が家の家計費に占める食費はとても高いです。
消費量はそこまでですが、ある意味でこだわりが強く、高くついてしまいます。
自給している食品も相当に高いですが、調味料、米、小麦、ワインに対しては現状の収入に対して大分はみ出た支払いを行っていると思います。

他方、一般的に家計のやりくりで一番削りやすいのも食費についてだと思います。
作っている人の人となりまで知っているから安心できる食べ物、この点に非常に共感できるからこの価格でも納得できる等こだわる人もいるかと思いますが、一般的に一番やり玉に挙げられるのは食費だと思います。日々消費されるし、目に見えて分かりやすいですしね。

こう考えると、食費に対する考えの2極化がより強く進んでいるんだろうなと思うわけです。
世間では、●●が安い、だとか今なら●●セールとかで「価格が安い」という一点突破で目玉になるような宣伝文句の下、食品が販売されていることも多いです。

でも、日々消費して体を構成する元となる食品ってそんなに安売りするべきものなんでしょうか?
今の米、みそ、しょうゆ価格などは本当に安いなと思います。ニュースなどで生活必需品の価格が値上がりするときに平均●●円値上がりするといって、コメンテーターが生活が大変になりますねと話なんかしてるのを聞くと、違和感しか感じません。
そう。食品の値段が現状だと安すぎると個人的には感じるのです。
あなたがかけているスマホ代、交際費、ネット代などなど高いと思うのはいくらでもあるわけです。

あなたが生きていくうえで必要なのは情報やお金などいろいろあると思いますが、生命活動を維持するために摂取する食品は一番大事でしょうと思うわけです。
日々体に取り入れる食べ物は、体を構成する物質。
売っているものなんだから信用に足るもの、大手食品メーカーが作っているんだから信用に足るもの、売り物なんだからまがい物なんかなわけがない。
果たしてそうなんでしょうか?と思うわけです。

少しでも信頼できる食事を摂るためにも、ある程度のお金を米、味噌、醤油、基本的な調味料からでもいいからかけてほしいと思います。

一方、私が造っているワインは一般的には日々消費するものではないと思います。
いわゆる奢侈品です。
じきの赤は約3,800円。これは一般的な感覚として酒としては高い部類だと思います。
美味しいとされるワインは高価格な印象はありますが、現状の自分のワインはフランスの憧れのあるワインと比べてどうなのか?
同じ価格帯で、簡単に比較はできませんが、自分のより美味しいと感じるものも多いというのが実際だと思います。
ただ、3,800円というのは中身と価格を考えた時のすり合わせで上限ギリギリかな?というイメージで付けている値段です。
中身のことを差し置いて経営面から値段を付けるのであればもう少し高くしたいなという実情もありますが、それだけはしたくありません。
だから目指すワインに近づいた時には価格を上げることもあるかもしれません(現状はその予定はありませんが)

こんなことを思ったのも、最近色んな酒屋さんのHPを見る機会があったので面白半分どの程度の値段決めを皆さんしているのか見てみました。
はっきり言うとある程度真面目に造っているであろう日本ワインは高いと思いました。
特に小規模ワイナリーの商品が。
中には抑えているところはありますし、この値段でこの中身なら安いなー、毎日でもいただきたいなー、というところもあります。
ですが、中身と価格の不釣り合いさが如実に出ているところが多いのも事実だと思います。
あのワインでこの値段…。私ならロワール、更にはジュラ、サヴォワの好きな生産者購入するなーとなりそうです。

結局のところ、中身と価格のすり合わせと書きましたが、消費者サイドがどのような感覚でいるのか、ターゲットとしている人に対して「如何に売るか」「マーケティングしていくか」に力点が置かれていて、中身と価格の不釣り合い感が置いてけぼりにされているような印象なのです。
目指しているワインだったのか、できちゃったワインだったのか知りませんが、造ったワインを如何に捌けさせるのか、そこに注力している印象です。
販売先を直接消費者に届けるのか、酒屋さんへ卸すのか、或いは飲食店に売るのか。
それもワイナリーを経営する「商才」としては必要なことだとは思いますが、ものつくりをしている一端の職人でもあるのだから自分のワインの値決めについて冷静に俯瞰してみてみることも必要なんでは?と思いました。
にしても高いですね。これじゃ大きなキッカケがないと小規模ワイナリーのワインを購入してくれる人の裾野は広がらないですよ。

2021vtが始まります

葡萄を植栽して4年目の今年。ようやくまとまった収量が得られそうです。
この半年間を振り返ると当たり前ですが、色々なことがありました。
過去3年間失敗続きだったカスミカメの対策、対応ができるようになったのも一つ前進したことですが、旱魃時に新たに出てきたウリハムシモドキには手を焼きました。
全収量の10%ほどをダメにしてしまいました。
来年は新たにウリハムシからの防除を講じたいと色々と考えを巡らせています。

それと農機具の故障が相次ぎました。
農機具メーカーの明らかな設計ミスが起因になったようなものです。使用者は不具合についてのアンテナを常に張っていないとダメですね…。

そして、いよいよ2021vtの仕込みが始まります。
今シーズンのテーマは「待つ」です。
醗酵を待つ、抽出を待つ、熟成を待つ。
2020vtは全体のバランスとして2019vtよりも、よりツヴァイ「らしさ」に焦点を当てた造りを目指しました。
2019vtは良い意味でも悪い意味でも優しすぎると感じました。
個人的にはもう少しツヴァイのスパイス感や洗練されていないある種の野暮ったさを上手く表現したかったのです。
今振り返ると醸し期間中に少々虐めすぎたような気がしているのが心残りな部分です。
ただ現時点で樽熟中のワインは近いところに落ち着きそうな感じではあります。
瓶熟1年以上はしたいところですが。。。
加えて2020vtは亜硫酸無添加でやろうとも思っています。
今の段階でポリフェノール量や酸の状態から耐えられると踏んでいます。

そして2021vt。
ツヴァイらしさを上手く引き出しつつ、主張させすぎないバランスを保つ。
一歩間違えると野暮ったさを主張するワインになるような気もしますので、抽出には注意を払います(2020vtの反省)
芯はあるが、飲み口は柔らかく、酸がしっかりと伸びていくワイン。
優しく扱うことに加えて、見極めをしっかり行い、その適時での抽出、搾りを行うタイミングまで「待つ」ことをしたいと思います。
もちろんサンスフルで瓶詰まで出来るように綺麗に造っていきます。

酒販免許が下りました

先ほど税務署から連絡があり、1月下旬に申請を出していた一般酒類小売業免許と通信販売酒類小売業免許の許可が下りました。
キッチリ2か月かかると伝えられていたので、大丈夫かな??と思っていましたが予想より2週間以上早くOKになりました!

これで2019vtワインも蝋付けとラベル貼りが終われば出荷を待つばかりです。
楽しみです~!

羊の飼育 出産と越冬を目前に思うこと

登醸造の小西さんからの勧めで2018年の夏から飼い始めた羊。
現在2年目の越冬を目前に準備を進めています。

じきの畑には積丹生まれのレミ(1歳)と十勝生まれのパン(1歳)・ゴマ(0歳)の3頭の純血サフォーク(雌)がいます。

9月末から1か月間、積丹の牧場に預け、レミとパンにテクセル種を交配させました。来年2月末に出産予定です。
今回テクセルと合わせたのは肉質や肉量というより種としての強さが欲しかったためです。
そのために同品種での交雑ではなく、他品種と合わせたかったという気持ちが強いのです。同じ羊であっても血が濃くなればなるほど、種としての存続に陰りがみえるように感じます。品種に跨って交雑した家畜や家禽(いわゆる雑種)は選抜育種した個体と比較し、疾病への罹患率が低い(罹っても重篤化しにくい)気がします。純血の猫や犬などを見ていても同じだと思います。
選抜育種した経済動物は畜肉量増加や採卵率上昇が見込め、人間にとってありがたいことも多いです。が、血が濃くなればなるほど気性難だったり病気に弱くなったりと、精神的・身体的に虚弱性が高まる気がするのです。「じき」では羊を利益を生むための家畜として飼うことは目的とはせず、羊糞利用や景観形成、そしてじきのワインを形作るパーツの一つとして考えているため、敢えて理想の形としての羊肉生産をしていこうと思ったのです。
ある意味で趣味の範疇での飼育です。
なので、
①生産する羊肉はじきの畑で生まれた個体であり、母親もじきの畑で伸び伸び生活している個体にする
②かけ合わせるのは異なる品種にする
③春夏秋の飼料はじきの畑の雑草のみ。冬場の飼料は全て道産(屑小麦、ビートパルプ、米ぬか、乾草)を利用
とぼんやりですが、大きく3つ方針を定めています。
じきの畑で紡ぎだされた命をいただく。
じきの畑の循環から少しだけ恵みをいただく。
じきの食卓を彩る食材は可能な限り自らの土地で紡ぎだしたもの、或いは自らの力で取ったもので揃えています。
野菜を栽培し、果樹を栽培し、ワインを醸造し、肉は廃鶏とエゾシカで賄っています。そこに新たに来年から羊肉が加わります。
この羊肉は自家消費だけでなく、ご希望いただける飲食店さんがあればワインと併せて販売していこうとも思っています。

以前投稿したように始まりから終わりがこの場所(地域)で完結した食べ物を体に取り入れる、そんな理想を体現できる場所を作っていけるよう今後もやっていこうと考えています。