年が明けました

2023年が始まりましたね。
今年は剪定が昨年中に終わり、ゆっくりとした年始を送っています。
醸造は今年で7年目に突入しますが、まだまだ分からないこともあり、目指すべきワインのスタイルはあるも如何に近づけるか、畑作業から見つめなおし自分の中で思考の反芻を行っていく次第です、鹿を追いつつ…。
先シーズン学んだことは、醸造とは北風と太陽なんだということです。
収穫した葡萄に無理強いしても納得出来るワインを造ることは出来無いと感じました。
自分の理想はあるのかもしれませんが、エゴでそれを頑なに目指すのは違うのではいかと。
この土地で、自分の目指すべきワインを造りだすために必要な葡萄を畑作業で…というのは第一にありますが、やはりその年の天候に逆らうことは出来ません。
葡萄の熟度(糖度ではなく、熟度です)は異なりますし、酸やPH、そしてアミノ酸の含量、ひっくるめると葡萄の果粒を組成するすべての物質のバランスが年により異なるのです。
自分の目指す、造ってみたいワインは何なのか。それを造るために醸造上、どこでどのような手を加えるべきなのか、何となく掴めているような気はします。
ですが、葡萄のポテンシャルは先にも述べましたが、年のより大いに異なります。

極端な例ですが、雨が多く、日照時間も平年より少ない年の葡萄は病気が多くなることが考えられます。
そうなると植物は自身の繁栄を考え、種を守るため、平年よりファイトアレキシンなどフィトクロームに富んだ葡萄を実らせるかもしれません。
また、雨が多いため樹中に還流する水分は多くなり、平年より果粒がNを吸収しているかもしれませんし、酷いと水っぽい果粒になっている可能性もあります。
ファイトアレキシンやアンティシピンは、ある種のフェノールに分類されますが、人にとってはエグミや未熟さにも直結する可能性があります。
例えば、このような黒葡萄で赤ワインを造ろうとしたとき、自分の目指すスタイルが旨味、甘みのあるタニックさもありつつ、骨格としての酸もメリハリがつくレベルで残したいとなると醸造上、抽出が非常に困難になると思います。
つまり、元々の葡萄のポテンシャル以上のワインは出来ないということです。
造り手は、葡萄の持っているポテンシャルの中で醸造を行わなければならないため、無理なことを行えば必ず何かしらの弊害が香り、味に表出してきます。
造りたい人間のエゴから生まれるワインは惹きつけるものが薄く感じられるのはそういうこともあると考えます。
大量生産、画一的な造り、添加物の使用、ろ過、培養酵母等々。
更に付け加えるならば、年により造りを変化させない画一的な醸造については規模の大小は関係ないとも思います。

言い換えると、毎年同じ造りを行うことは葡萄のポテンシャルを活かせていない状況だと私は考えます。
つまり、自分の造りたいワインの着地点にある程度の幅を持ちつつ、譲れない根っこ部分をぶらさず、その上に作り上げる構成要素を変えられれば良いのではと考えます。
余市の葡萄は11月近くまで吊るせば糖度はある程度行くことが分かっています。
しかし、先にも述べたようにそれ以外の要素は年による違いが大いにあるのです。

北風と太陽。
無理強いしても葡萄は笑顔になってはくれませんし、逆に引き出せるものがあるにもかかわらず同じ造りを行うことは勿体ないことです。

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