ワイン造りとは何か

最近、栽培とか醸造という単語に対しての違和感というかワイン造りに対して一面的というか線でなく、点でみているような印相を受けてしまう自分がいる。
栽培も醸造も流れの中では線なのだが、ワインづくり全体でみると大きい点のような気がするのだ。
というのも、栽培も醸造も自分の望むワインを造る工程の1つであり、ワイン造りにおいては同列であると考えるようになったためだ。
ワイン造りにおいては栽培は醸造の一部であって、醸造は栽培の一部なんだと考えている。

自分の望むワインを造るための葡萄とは何か。

それは自分の畑で自分の考えた方法で得た、望むべきワインが造れるポテンシャルを秘めた葡萄なんだと思う。
自分の求めるワインは自分の想い、考えを反映した栽培から出来た葡萄から造られるというのが自然な流れだと考えている。

仕事は準備が8割というが、ワイン造りにおいては葡萄の栽培が8割以上を占めると思う。
散薬のタイミング、芽欠きの幅、草刈のタイミング、除葉のタイミング、草刈を行う草丈、根切り、施肥、、、、ありとあらゆる農作業がどんな葡萄、ひいてはどんなワインを造りたいかによって決定されていくのだ。

単純に「良い葡萄」をつくろうなんて考えは今シーズンからは無くなった。
自分の求めるワインを造れる葡萄を如何にすれば栽培できるのか。
今はただそれを畑で実践しているのみである。

定植後4年間は如何に収量を伸ばすかに力点を置いていたが、今は収量は完全に二の次になっている。

如何に、自分の思い描く良い葡萄を作出するか。まずは兎に角、畑での葡萄栽培なのだと思う。

2022シーズンが始まりました

1週間くらい前に畑の雪が全て無くなりました。今年は少しだけ遅い感じです。
今は、ワイヤー上げと剪定枝の焼却が終わり、枝上げに集中しています。
もう少しで石灰硫黄合剤の散布でしょうか。

ところで今シーズンから少し意識を変えたことがあります。

それは「枝上げ作業から造りたいワインを意識する」、「ワイン造りは畑から始まる」ということ。

自分の出来るパフォーマンス内でトコトン良い葡萄を作りたい…。確かにそれは実現したいことですし、日々努力しているつもりです。
ただ、漠然と「良い」葡萄とは何か?と考えた時、分析値上の欠陥が少なく、病果もない健全な葡萄がすべてではないのかも?と感じている自分がいます。

欠陥の少ない、綺麗な葡萄であることはワインを造る上で重要なことだと思っています。
ただ、年による気候の違いと抜いたとしても、土壌環境や葉数、結果枝数、芽欠きの多少、除葉のタイミング、除葉の量、散薬の回数、散薬のタイミング等々で、健全で欠陥の少ない葡萄に+αで自分の求めるエッセンスが組み込まれた葡萄を得たい、、、というか自分の造りたいワインに少しでも近づけるための原料葡萄が欲しいと思うわけです。
例えばそれは、レーダーチャートで綺麗な五角形が出来ていなくていなくても良いと思うのです。
一部が突出していたり、或いは足りなかったり…。

この新生地区で造る葡萄のポテンシャルで、自分の造りたい、求めたいワインを醸造する上で必要となる葡萄。

表現としては造りたいワインのために、理想の葡萄を「作りたい」ではなく、理想の葡萄を「得たい」という感覚なのかもしれません。
自園の葡萄のみでワイン造りを行うと決めたメリットはそこにあると信じています。

何だかエラソーなことグダグダ書きましたが、とにかく今は畑作業に精進します。
自分の理想とするワインは、自分の理想とする畑からできる、自分の求める葡萄から造られると信じています。

でも、とりあえずの今年の目標は何事もトラブルなく畑作業を完遂するということにしています 笑

頑張ります。

羊をいただきました

先週息子と2人で早来へ行き、うちの羊を屠畜してきました。
今回は今年2月に産まれた雄でした。
この10ヶ月間、飼っている羊のなかでは一番懐いていて、やんちゃな子でした。生活を共にしていた分、愛情を注いでいた分、やはり連れていくことに葛藤がありました。
銃で動物を屠るクセに自分の可愛がった羊に対しては喰うことを躊躇する。全く人間とは余りにも我が儘な生き物だとつくづく厭な思いにもなりました…
今回、以前こちらにも投稿しましたが、「生きる」という営みは、自分が生活する地域内で自らもその地域内の物質を構成する原子の循環の1つの歯車になるということなんだと改めて感じました。羊を食べるときは感謝という言葉すら軽く思えて、何とも表現しがたい(申し訳なく、でも本能として美味いと感じた)感情が出ました。
この羊は自分であり、家族であり、うちの畑の雑草であり、葡萄であり、うちの畑の土であり、畑に降り注ぐ風土陽水であり、この土地の空気であり…。感情や気持ちでだけでの上っ面な繋がりではなくて、身体そのものを構成する物質的な繋がりを自らに起こった事象として認識しました。絵本「鹿よ おれの兄弟よ」も正にそんなことを表現していたなと思いました。
一方、普段から鹿や羆、鶏を捌いて喰っておきながら、今回は屠畜場に捌くことを依頼した自分に対し、情けなさと申し訳無さが日に日に募ってきています。対して動画で観たモンゴル遊牧民やベドウィン達の家畜への考えは愛情なんて言葉は改めて言う必要が無い程の愛があると感じました。だからこそ自分も自らが屠り、喰うことをしたいと思いました。文章を書いていても感情が高ぶってて、何言ってるか分からなくなってるところもありますが…..。なので、来年は自分で最後までやります。四つ足は基本全て同じですしね。
今回の子は、あらゆる意味でも私たち家族の糧になってもらうよう有り難く綺麗に頂戴したいと思います。
羊は喰うためと糞が欲しいためという2点で飼っています。彼らは自らの血肉を私たち家族へ捧げてくれるとともに葡萄や梅、栗、野菜を育てる源も供給してくれています。自然と共に生活を送る(持続可能という言葉は最近軽くなっている気がしますのであまり使いたくない 笑)。そのための有畜複合農業が出来つつあると思っています。

羊の命は自分等が生きている「この世」には無くなっても自分の中で精神的にも肉体的にも生き続けていると思います。生物学的には「生きる」と言うことは単にエネルギー源を分解し、発熱するという活動で、みんな普段は意識せずに「生きる」とはそういうことみたいになってるけど、実際「生死」についてこういう生活してると本当に根っこのところまで考えることがあり、そんな生物学的なことだけじゃないなと思うわけです。

2021vtの研修が終わりました。

10/31で今シーズンの10Rでの研修が終了しました。
5シーズン目でしたが、理解できることが多くなってる一方、そこから疑問に思うこともあり、多々ブルースさんには質問をしてました。
本に記載されてる知識は当然として頭に入れた上で、実際の現場で起こることとの摺合せが面白くもあり、難しくもありました。

今シーズンのテーマだった「待つこと」についてはある程度実践できました。
糖度、ph、TAに踊らされず、熟期を待つこと。発酵が始まる前のホールベリーでの果粒内のグルコース、フルクトースの酵素によるアルコール置換を待つこと。ピジャージュを極力行わず発酵が進むのを待ち、糖をある程度食い切らせるまで待つこと。
結果、赤についてはツヴァイらしさがありつつ、野暮ったさやスパイス感が抑えられ、ピンクグレープフルーツのような瑞々しい果実感のあるものが搾れました。ツヴァイでも果実感溢れるマストが得られたことは、今後ツヴァイをやっていく上で新しい道が見えたようにも思います。ツヴァイは熟すまで待っても糖度が上がりすぎることはありません。TAやphは少し大変ですが…。ただmlfをやってもその値に変化が大きく現れません。そこをアドバンテージに今後もツヴァイで赤をやっていきたいと改めて思いました。
そして、「待つ」ことによるリスクについても非常に多くの学びがありました。危機察知能力についてはもっとアンテナをしっかり張らねばと思った次第です。
もう頭の中は来シーズンやりたいことがグルグル駆け巡っています。ワイン醸造は難しくもあり、でもだからこそ自分が表現できることを如何に表出させるか。その上での知識と技術と経験は絶対的に必要だと改めて痛感しました。
来シーズン以降も学びを得るため10月11月は岩見沢市民になろうと思います。

2020vt白の瓶詰前滓引き

本日10Rにて2020vtの白ワイン(環)の瓶詰前滓引きを行ってきました。
2020vtはシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノブラン、グリューナーの混醸です(将来的には単一での醸造を目指しています)
量は非常に少なく、430本ほどになる見込みです。ステンレスバレル280ℓ以外に小仕込みのものが複数あったのですが、同じマストから出来たワインのはずなのに容器が異なると、こんなにも趣が違うものが出来るのだなと改めて思いました。特に一番小さい仕込みをしたものが非常に好感の持てるワイン、可能であれば目指したいスタイル(バン、リフォーに憧れてます)に近いものでした。

ステンタンクにまとめたワインには亜硫酸を極々少量(10ppm)添加しました。じきの白のスタイルを見据え、サンスフルも考えましたが、2020vtについては10ppm添加にしました。来年3月以降に飲んでみて2021vt以降の参考にしたいと思います。
瓶詰後どのようなスタイルになるのか、今日の段階である程度予測は出来ますが、楽しみに待ちたいと思います。
リリースは来年3月なので、詰めた後半年ちょっと蔵で寝ててもらいたいと思いますZzz…

ツヴァイ、グリューナーはやはりこの地に合っている

そろそろ花が咲きそうな雰囲気になってきました。
灰カビ注意報が発令されそうな天気が今月末にかけて続きますね…。

日々、除葉と芽欠きをしていますが、花穂はどれも綺麗で順調です。
一方で、結果枝に花穂が着いていない個体が目につき始めました。

じきの畑の仕立てはギヨなので、コルドンより花穂が着きやすいはずなのですが、品種によって花穂の付き具合が異なるようです。
実感としては、
ツヴァイ≧グリューナー>ソーヴィニヨン・ブラン≧シャルドネ>>ピノ・ブラン
です。

ピノブランの結果枝に花穂が着いていない…。
おそらく根がまだしっかり張り切っていなく、養分が吸いきれていないのか?
ただ、植えたタイミングはどれも同じ。植えられた土壌条件、斜面の向き、斜度どれをとってもそこまで大差がないんですがね。
収穫後の礼肥を考えないとダメかもですね。今あげてしまうと逆に徒長してしまうので、ここは我慢です。
一方でツヴァイやグリューナーは自分で言うのもなんですが、素晴らしいです。
結果枝に花穂が着いていないものが無いくらいです。

自分色のワイン

2019をリリースして思った事。

自分色のワインってどんなんだろう??
イソアミル臭のワイン 笑????
(※私は以前バナナの会社にいました)

好きなワインは白ならドゥノジャン、バン、リフォー、ニコライフォフ、アンブロッチ。赤ならヴァロ、ラタポワル、エオレ、フォワイヤールなんか。他にもいろいろあるけども、傾向とかバラバラだなーと思う。

でも、こういう好きなワインへ近づける造りをすることが余市でワインを造ることに繋がるのか?
そんなんならいっそフランスでやれば?と自分自身に問うてしまう。
憧れは憧れにして、実際は自分のところで収穫できた葡萄で可能な限り削らない造りを行う。

憧れているワインからそのエッセンスをほんの少し加味していくことは自分色を出すことに近づくことなんだろうとは思う。ただ、これらのワインを模倣したり、可能な限り近づけようとする醸造ってのは違う気がする。

そんなわけで、自分色のワインはどのようなスタイルになるのか、2021の造りをどのようにするのか日々考えています。
灰カビも恐れず利用できればと思います。

2019vtの蝋付け、ラベル貼り完了しました!!

余市へ来て3月で7年目。
10Rへ通って丸4年。

ようやく本日蝋付けとラベル貼りと行い、一つの区切りである初ヴィンテージワインが完成しました。


ラベルは砂川の空のアトリエさんへ依頼し、秋の畑での夕暮れ(黄昏時)をイメージしてもらいました。
大変気に入っています!
今回は250本だけの生産。
イベントや飲食店での提供をメインに一人でも多くの方に飲んでいただければと思っています…。




2019vt瓶詰完了しました

先日10Rにて2019vtの赤(ツヴァイゲルト)の瓶詰を終えました。
1樽分だけだったので300本というキリの良い数字。
ワインについての説明は新たに作成しているHPに掲載予定なのでここでは詳細を省略します。
色合いは淡いルビーくらい。ツヴァイの赤の割に優しい色合いです。
公にはリリースできる数ではないのでイベント時や飲食店さんを中心に出していこうかなと考えています。
安定的に数を出せるのはおそらく2021vt~と思っています。

グリューナーの新しいクローンが来ます

イタリアから輸入したグリューナー・フェルトリーナの新しいクローンが検査に合格し、来春から畑に入ることが決まりました。
それにしてもピノグリウイルスが酷い…

1本あたりの値段は怖くて計算したくありませんね。
それ以外の労力(色々お手伝いしていただいたものとか含め)考えると、ここまで思い入れないとやってられないです。
グリューナ熱は生半可ではありません。じきの畑にあるグリューナのクローン数はこれで5つ。
日本では一番多いと思います。
長かったです。合法的に色んな地域から輸入し、隔離圃場へ出し、、、ここに来るまで6年間かかりました。
今後これらの適不適を見極めながら増やします。
昨年の収穫(ドイツ系クローン、クロスターノイブルク系クローン)の感じだと個人的には相当に期待しています。
収量・病気への耐性、味、風味どれをとってもいいのでは?と思います。

大好きなニコライホーフ、ヒルシュのGV。
憧れだけに留まらないようやっていきます!