最近の興味

醸造についてはここ最近も記載しましたが、専ら乳酸菌について興味津々。

畑については、天敵生物を用いた防除、微生物的防除に興味津々。
それと糸状菌と細菌とでの防除のやり方…というか考え方のシフト。
酒石酸、リンゴ酸が豊富な時期に糸状菌を恐れすぎることは意味のないことあなぁと思うわけです。

畑の生物多様性は化学農薬に頼らない営農においては非常に重要なんだと改めて思っています。
カスミカメ類に寄生する寄生バチの研究が行われていることに驚きです。
https://www.naro.go.jp/project/results/laboratory/narc/2000/narc00-1028.html
http://www.agr.kyushu-u.ac.jp/lab/hogo/research.html
実際には畑で目に見えないレベルで寄生バチがいるのだとは思いますが、それらが生活しやすい環境(シーズン中の花リレーなど)を整える必要がありますね。

それと化学的防除ではなく、それより以前から行われていた微生物的防除というのが新鮮でした。
戦後、化学農薬の進展のため、隅に追いやられていた微生物的防除ですが、ボーペリア菌等の研究が進んでいるようです。
https://arystalifescience.jp/ipm/ipm35-1.php

やっぱり思う

今シーズンは今のところ昨年より雨が多く、積算温度は低いようです。
葡萄はというと順調に生育していってくれています。
毎日朝から晩まで顔を合わせているので家族以上に接している時間が長いです。
個人的に自分の葡萄と接する時間が長いということは非常に重要だと思います。
葡萄の調子、意図的に施している管理で今の段階でどのような葡萄になっているのかの観察等々。
出来上がる葡萄を目標とする小さな点に収束させることはできないけれども、可能な限りそれに近づけたい。
その一心で朝から晩まで畑に立っています。
畑の作業は研修先や本に載っていることとは違うことも多々あります。
自分で分からないことは色々実験し、植物生理、菌叢のこと等考えながらやるべきことを畑仕事に落とし込んでいます。
何となくや感覚、聞いたことを単純に行う仕事は可能な限り排除しています。
何故それを行うのか、自分が納得するまで考えます。
そう考えると農作業は単調な仕事なのですが、葡萄を作ることってとってもクリエイティブな仕事なんだと思います。
自分の造りたいワインがある。そのワインを造るために必要な葡萄は自分の畑で作る必要がある。
だから自分で考え、自分が手を入れた畑が重要なんです。畑が第一なんです。
なんでか?
目標とするワインを造るために必要となる葡萄は自分しか作れないと思うから。
それだけです。

兎に角、葡萄第一に、この時期は羊も野菜畑も自分は放置です。
葡萄収穫が終わるまでほぼ労働力は投下しません。
畑作業は栽培というくくりにされがちですが、これは既にワイン造りなんです。
剪定から瓶詰まですべてが1つなんですよね。

収穫まであと2か月。頑張ります!

知れば知るほど

備忘録としてシコシコ書いているブログという認識でしたが、意外と閲覧しているモノ好きな人が居らっしゃるようです 笑

2022vtの畑仕事が折り返しくらいに来ました。
今ヴィンテージは開花期に若干気温が低かったことと天気がよろしくなかったこともあり、振るった場所も一部ありました。
ただ、全体的には結実は良く、後は台風さえなければ収量は問題なさそうです。

最近は、犬の散歩を終えてから畑仕事までの時間で醸造について学んでいます。
エルゼビアやグーグルスカラーとかで文献を見つけてアブスト見るだけでも面白いです。
最近の翻訳機能はすごいですね 笑
自分は曖昧な感じではなくて深く掘って自分なりの答えを掴みたい質なので、醸造期間以外に色々知ることは良いことだと思っています。
このことを10月からの実践で自分の中ですり合わせ、落とし込んでいければより良いと思っています。
緩さやぼんやり感は取り合えず今はいいかな。

改めて感じるのは俗に謂うナチュラルなワイン醸造においてカギになるのは乳酸菌なんだろうということ。
ヘテロ型の乳酸発酵におけるエタノール、酢酸、乳酸の生成、その先のアセト乳酸、2AP、ピリジン、VA、ヒスタミンの生成と条件など。
MLFだけなんて単純なもんでない。初期発酵から貯蔵期間という長いスパンで醸造で色々関係してくる乳酸菌。

でもやっぱりスタートは葡萄だし、大事なものもそこ。
果粒内の成分は畑の気候や環境にもよるところもあるが、人為的介入による変化が当然起こります。
どのような作業でどんな葡萄になるのか、色々試していきたいと改めて思う次第です。

ワイン造りとは何か

最近、栽培とか醸造という単語に対しての違和感というかワイン造りに対して一面的というか線でなく、点でみているような印相を受けてしまう自分がいる。
栽培も醸造も流れの中では線なのだが、ワインづくり全体でみると大きい点のような気がするのだ。
というのも、栽培も醸造も自分の望むワインを造る工程の1つであり、ワイン造りにおいては同列であると考えるようになったためだ。
ワイン造りにおいては栽培は醸造の一部であって、醸造は栽培の一部なんだと考えている。

自分の望むワインを造るための葡萄とは何か。

それは自分の畑で自分の考えた方法で得た、望むべきワインが造れるポテンシャルを秘めた葡萄なんだと思う。
自分の求めるワインは自分の想い、考えを反映した栽培から出来た葡萄から造られるというのが自然な流れだと考えている。

仕事は準備が8割というが、ワイン造りにおいては葡萄の栽培が8割以上を占めると思う。
散薬のタイミング、芽欠きの幅、草刈のタイミング、除葉のタイミング、草刈を行う草丈、根切り、施肥、、、、ありとあらゆる農作業がどんな葡萄、ひいてはどんなワインを造りたいかによって決定されていくのだ。

単純に「良い葡萄」をつくろうなんて考えは今シーズンからは無くなった。
自分の求めるワインを造れる葡萄を如何にすれば栽培できるのか。
今はただそれを畑で実践しているのみである。

定植後4年間は如何に収量を伸ばすかに力点を置いていたが、今は収量は完全に二の次になっている。

如何に、自分の思い描く良い葡萄を作出するか。まずは兎に角、畑での葡萄栽培なのだと思う。

2022シーズンが始まりました

1週間くらい前に畑の雪が全て無くなりました。今年は少しだけ遅い感じです。
今は、ワイヤー上げと剪定枝の焼却が終わり、枝上げに集中しています。
もう少しで石灰硫黄合剤の散布でしょうか。

ところで今シーズンから少し意識を変えたことがあります。

それは「枝上げ作業から造りたいワインを意識する」、「ワイン造りは畑から始まる」ということ。

自分の出来るパフォーマンス内でトコトン良い葡萄を作りたい…。確かにそれは実現したいことですし、日々努力しているつもりです。
ただ、漠然と「良い」葡萄とは何か?と考えた時、分析値上の欠陥が少なく、病果もない健全な葡萄がすべてではないのかも?と感じている自分がいます。

欠陥の少ない、綺麗な葡萄であることはワインを造る上で重要なことだと思っています。
ただ、年による気候の違いと抜いたとしても、土壌環境や葉数、結果枝数、芽欠きの多少、除葉のタイミング、除葉の量、散薬の回数、散薬のタイミング等々で、健全で欠陥の少ない葡萄に+αで自分の求めるエッセンスが組み込まれた葡萄を得たい、、、というか自分の造りたいワインに少しでも近づけるための原料葡萄が欲しいと思うわけです。
例えばそれは、レーダーチャートで綺麗な五角形が出来ていなくていなくても良いと思うのです。
一部が突出していたり、或いは足りなかったり…。

この新生地区で造る葡萄のポテンシャルで、自分の造りたい、求めたいワインを醸造する上で必要となる葡萄。

表現としては造りたいワインのために、理想の葡萄を「作りたい」ではなく、理想の葡萄を「得たい」という感覚なのかもしれません。
自園の葡萄のみでワイン造りを行うと決めたメリットはそこにあると信じています。

何だかエラソーなことグダグダ書きましたが、とにかく今は畑作業に精進します。
自分の理想とするワインは、自分の理想とする畑からできる、自分の求める葡萄から造られると信じています。

でも、とりあえずの今年の目標は何事もトラブルなく畑作業を完遂するということにしています 笑

頑張ります。

食べ物の価格と中身の不釣り合いさについて

我が家の家計費に占める食費はとても高いです。
消費量はそこまでですが、ある意味でこだわりが強く、高くついてしまいます。
自給している食品も相当に高いですが、調味料、米、小麦、ワインに対しては現状の収入に対して大分はみ出た支払いを行っていると思います。

他方、一般的に家計のやりくりで一番削りやすいのも食費についてだと思います。
作っている人の人となりまで知っているから安心できる食べ物、この点に非常に共感できるからこの価格でも納得できる等こだわる人もいるかと思いますが、一般的に一番やり玉に挙げられるのは食費だと思います。日々消費されるし、目に見えて分かりやすいですしね。

こう考えると、食費に対する考えの2極化がより強く進んでいるんだろうなと思うわけです。
世間では、●●が安い、だとか今なら●●セールとかで「価格が安い」という一点突破で目玉になるような宣伝文句の下、食品が販売されていることも多いです。

でも、日々消費して体を構成する元となる食品ってそんなに安売りするべきものなんでしょうか?
今の米、みそ、しょうゆ価格などは本当に安いなと思います。ニュースなどで生活必需品の価格が値上がりするときに平均●●円値上がりするといって、コメンテーターが生活が大変になりますねと話なんかしてるのを聞くと、違和感しか感じません。
そう。食品の値段が現状だと安すぎると個人的には感じるのです。
あなたがかけているスマホ代、交際費、ネット代などなど高いと思うのはいくらでもあるわけです。

あなたが生きていくうえで必要なのは情報やお金などいろいろあると思いますが、生命活動を維持するために摂取する食品は一番大事でしょうと思うわけです。
日々体に取り入れる食べ物は、体を構成する物質。
売っているものなんだから信用に足るもの、大手食品メーカーが作っているんだから信用に足るもの、売り物なんだからまがい物なんかなわけがない。
果たしてそうなんでしょうか?と思うわけです。

少しでも信頼できる食事を摂るためにも、ある程度のお金を米、味噌、醤油、基本的な調味料からでもいいからかけてほしいと思います。

一方、私が造っているワインは一般的には日々消費するものではないと思います。
いわゆる奢侈品です。
じきの赤は約3,800円。これは一般的な感覚として酒としては高い部類だと思います。
美味しいとされるワインは高価格な印象はありますが、現状の自分のワインはフランスの憧れのあるワインと比べてどうなのか?
同じ価格帯で、簡単に比較はできませんが、自分のより美味しいと感じるものも多いというのが実際だと思います。
ただ、3,800円というのは中身と価格を考えた時のすり合わせで上限ギリギリかな?というイメージで付けている値段です。
中身のことを差し置いて経営面から値段を付けるのであればもう少し高くしたいなという実情もありますが、それだけはしたくありません。
だから目指すワインに近づいた時には価格を上げることもあるかもしれません(現状はその予定はありませんが)

こんなことを思ったのも、最近色んな酒屋さんのHPを見る機会があったので面白半分どの程度の値段決めを皆さんしているのか見てみました。
はっきり言うとある程度真面目に造っているであろう日本ワインは高いと思いました。
特に小規模ワイナリーの商品が。
中には抑えているところはありますし、この値段でこの中身なら安いなー、毎日でもいただきたいなー、というところもあります。
ですが、中身と価格の不釣り合いさが如実に出ているところが多いのも事実だと思います。
あのワインでこの値段…。私ならロワール、更にはジュラ、サヴォワの好きな生産者購入するなーとなりそうです。

結局のところ、中身と価格のすり合わせと書きましたが、消費者サイドがどのような感覚でいるのか、ターゲットとしている人に対して「如何に売るか」「マーケティングしていくか」に力点が置かれていて、中身と価格の不釣り合い感が置いてけぼりにされているような印象なのです。
目指しているワインだったのか、できちゃったワインだったのか知りませんが、造ったワインを如何に捌けさせるのか、そこに注力している印象です。
販売先を直接消費者に届けるのか、酒屋さんへ卸すのか、或いは飲食店に売るのか。
それもワイナリーを経営する「商才」としては必要なことだとは思いますが、ものつくりをしている一端の職人でもあるのだから自分のワインの値決めについて冷静に俯瞰してみてみることも必要なんでは?と思いました。
にしても高いですね。これじゃ大きなキッカケがないと小規模ワイナリーのワインを購入してくれる人の裾野は広がらないですよ。

羊をいただきました

先週息子と2人で早来へ行き、うちの羊を屠畜してきました。
今回は今年2月に産まれた雄でした。
この10ヶ月間、飼っている羊のなかでは一番懐いていて、やんちゃな子でした。生活を共にしていた分、愛情を注いでいた分、やはり連れていくことに葛藤がありました。
銃で動物を屠るクセに自分の可愛がった羊に対しては喰うことを躊躇する。全く人間とは余りにも我が儘な生き物だとつくづく厭な思いにもなりました…
今回、以前こちらにも投稿しましたが、「生きる」という営みは、自分が生活する地域内で自らもその地域内の物質を構成する原子の循環の1つの歯車になるということなんだと改めて感じました。羊を食べるときは感謝という言葉すら軽く思えて、何とも表現しがたい(申し訳なく、でも本能として美味いと感じた)感情が出ました。
この羊は自分であり、家族であり、うちの畑の雑草であり、葡萄であり、うちの畑の土であり、畑に降り注ぐ風土陽水であり、この土地の空気であり…。感情や気持ちでだけでの上っ面な繋がりではなくて、身体そのものを構成する物質的な繋がりを自らに起こった事象として認識しました。絵本「鹿よ おれの兄弟よ」も正にそんなことを表現していたなと思いました。
一方、普段から鹿や羆、鶏を捌いて喰っておきながら、今回は屠畜場に捌くことを依頼した自分に対し、情けなさと申し訳無さが日に日に募ってきています。対して動画で観たモンゴル遊牧民やベドウィン達の家畜への考えは愛情なんて言葉は改めて言う必要が無い程の愛があると感じました。だからこそ自分も自らが屠り、喰うことをしたいと思いました。文章を書いていても感情が高ぶってて、何言ってるか分からなくなってるところもありますが…..。なので、来年は自分で最後までやります。四つ足は基本全て同じですしね。
今回の子は、あらゆる意味でも私たち家族の糧になってもらうよう有り難く綺麗に頂戴したいと思います。
羊は喰うためと糞が欲しいためという2点で飼っています。彼らは自らの血肉を私たち家族へ捧げてくれるとともに葡萄や梅、栗、野菜を育てる源も供給してくれています。自然と共に生活を送る(持続可能という言葉は最近軽くなっている気がしますのであまり使いたくない 笑)。そのための有畜複合農業が出来つつあると思っています。

羊の命は自分等が生きている「この世」には無くなっても自分の中で精神的にも肉体的にも生き続けていると思います。生物学的には「生きる」と言うことは単にエネルギー源を分解し、発熱するという活動で、みんな普段は意識せずに「生きる」とはそういうことみたいになってるけど、実際「生死」についてこういう生活してると本当に根っこのところまで考えることがあり、そんな生物学的なことだけじゃないなと思うわけです。

2021vtの研修が終わりました。

10/31で今シーズンの10Rでの研修が終了しました。
5シーズン目でしたが、理解できることが多くなってる一方、そこから疑問に思うこともあり、多々ブルースさんには質問をしてました。
本に記載されてる知識は当然として頭に入れた上で、実際の現場で起こることとの摺合せが面白くもあり、難しくもありました。

今シーズンのテーマだった「待つこと」についてはある程度実践できました。
糖度、ph、TAに踊らされず、熟期を待つこと。発酵が始まる前のホールベリーでの果粒内のグルコース、フルクトースの酵素によるアルコール置換を待つこと。ピジャージュを極力行わず発酵が進むのを待ち、糖をある程度食い切らせるまで待つこと。
結果、赤についてはツヴァイらしさがありつつ、野暮ったさやスパイス感が抑えられ、ピンクグレープフルーツのような瑞々しい果実感のあるものが搾れました。ツヴァイでも果実感溢れるマストが得られたことは、今後ツヴァイをやっていく上で新しい道が見えたようにも思います。ツヴァイは熟すまで待っても糖度が上がりすぎることはありません。TAやphは少し大変ですが…。ただmlfをやってもその値に変化が大きく現れません。そこをアドバンテージに今後もツヴァイで赤をやっていきたいと改めて思いました。
そして、「待つ」ことによるリスクについても非常に多くの学びがありました。危機察知能力についてはもっとアンテナをしっかり張らねばと思った次第です。
もう頭の中は来シーズンやりたいことがグルグル駆け巡っています。ワイン醸造は難しくもあり、でもだからこそ自分が表現できることを如何に表出させるか。その上での知識と技術と経験は絶対的に必要だと改めて痛感しました。
来シーズン以降も学びを得るため10月11月は岩見沢市民になろうと思います。

2021vtが始まります

葡萄を植栽して4年目の今年。ようやくまとまった収量が得られそうです。
この半年間を振り返ると当たり前ですが、色々なことがありました。
過去3年間失敗続きだったカスミカメの対策、対応ができるようになったのも一つ前進したことですが、旱魃時に新たに出てきたウリハムシモドキには手を焼きました。
全収量の10%ほどをダメにしてしまいました。
来年は新たにウリハムシからの防除を講じたいと色々と考えを巡らせています。

それと農機具の故障が相次ぎました。
農機具メーカーの明らかな設計ミスが起因になったようなものです。使用者は不具合についてのアンテナを常に張っていないとダメですね…。

そして、いよいよ2021vtの仕込みが始まります。
今シーズンのテーマは「待つ」です。
醗酵を待つ、抽出を待つ、熟成を待つ。
2020vtは全体のバランスとして2019vtよりも、よりツヴァイ「らしさ」に焦点を当てた造りを目指しました。
2019vtは良い意味でも悪い意味でも優しすぎると感じました。
個人的にはもう少しツヴァイのスパイス感や洗練されていないある種の野暮ったさを上手く表現したかったのです。
今振り返ると醸し期間中に少々虐めすぎたような気がしているのが心残りな部分です。
ただ現時点で樽熟中のワインは近いところに落ち着きそうな感じではあります。
瓶熟1年以上はしたいところですが。。。
加えて2020vtは亜硫酸無添加でやろうとも思っています。
今の段階でポリフェノール量や酸の状態から耐えられると踏んでいます。

そして2021vt。
ツヴァイらしさを上手く引き出しつつ、主張させすぎないバランスを保つ。
一歩間違えると野暮ったさを主張するワインになるような気もしますので、抽出には注意を払います(2020vtの反省)
芯はあるが、飲み口は柔らかく、酸がしっかりと伸びていくワイン。
優しく扱うことに加えて、見極めをしっかり行い、その適時での抽出、搾りを行うタイミングまで「待つ」ことをしたいと思います。
もちろんサンスフルで瓶詰まで出来るように綺麗に造っていきます。

2020vt白の瓶詰前滓引き

本日10Rにて2020vtの白ワイン(環)の瓶詰前滓引きを行ってきました。
2020vtはシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノブラン、グリューナーの混醸です(将来的には単一での醸造を目指しています)
量は非常に少なく、430本ほどになる見込みです。ステンレスバレル280ℓ以外に小仕込みのものが複数あったのですが、同じマストから出来たワインのはずなのに容器が異なると、こんなにも趣が違うものが出来るのだなと改めて思いました。特に一番小さい仕込みをしたものが非常に好感の持てるワイン、可能であれば目指したいスタイル(バン、リフォーに憧れてます)に近いものでした。

ステンタンクにまとめたワインには亜硫酸を極々少量(10ppm)添加しました。じきの白のスタイルを見据え、サンスフルも考えましたが、2020vtについては10ppm添加にしました。来年3月以降に飲んでみて2021vt以降の参考にしたいと思います。
瓶詰後どのようなスタイルになるのか、今日の段階である程度予測は出来ますが、楽しみに待ちたいと思います。
リリースは来年3月なので、詰めた後半年ちょっと蔵で寝ててもらいたいと思いますZzz…